ニース,ヴァンス

 宿泊するつもりはなかった。
 シャガール美術館へ行き,その強烈な赤の色彩に虜になり,残念ながらマティス美術館は改装中で見られなかったけれど,コート・ダ・ジュールってやつで昼寝もしたし,久し振りにレストランに入ってブイヤベースとやらをいただいたし,それで満足だった。その夜には,スペインに向け夜行列車に乗り込むつもりだった。もともと「ニース」を連発していた青短が頭をかすめただけの訪問だ。
 しかし,その夜,仏語の流暢な日本人男に出会った。
 確かに,誰彼となく話がしたい気持ちに駆られていた。淋しさがあった。まだ冬の只中にあるピサから,日中Tシャツで過ごせるニースに一気に南下したことから,緊張感が,その開放へ向けてバランスを欠いて緩んだような,梶井基次郎の言う「不吉な塊り」のようなものを覚えていた。
 夜行に乗るべく,駅で電車を待っていると,男がそわそわと,あっち行きこっち行きしている姿が目に留まった。聞くと,1か月ほどフランス国内を旅しているという慶応大だ。ヴァンス行きのバスの時刻が知りたいのだと言う。そして,ヴァンスには,マティスの造ったロゼール礼拝堂があるのだと言う。
 その話に乗ってしまった。一夜は,急遽,その男の宿泊するホテルに空きがあったので泊まることにして,明くる朝,ヴァンスに向かった。
 ヴァンスは,海から離れた山間の街だが,空気はからっとしていて,日本のそれとだいぶ趣が違う。礼拝堂では,白を基調にした室内に,黒の筆一本で描かれた聖母らは力強く,また,太陽光は,海を表現したかのようなステンドグラス越しに,その白い室内を青や緑や黄に染め,光の差す時間にしかない表現を与えていた。
 不吉な塊りは消えていた。出会いが重なり合った結果の礼拝堂訪問は,旅の珠玉の一日となった。

  data
  日時:昭和63年3月2日(水),翌3日(木)


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