シベリアの地で,まず初めに感じたのは,日本人の多くは,単なる旅行としてこの地を訪れるのではなく,墓参に来るのだという歴史的重みだった。墓参団の垂れ幕を見るにつれ,頭の片隅でしか日本の過去を学ばず,自分の肉として日本人の苦しみを理解していないことを恥じた。旅行から帰ってきて,「俺も一度,親父を連れて行きたいんだよなあ」と言う人が出てきたりもする。
気候は厳しく,朝夕は,9月にしてすでに厳冬状態だ。
この地域にはブリヤート共和国というモンゴロイドの自治地域があるなど,多くのブリヤート人が住んでいる。白系ロシア人と同じくロシア語をしゃべるが,やっぱり自分にとって親しみが持てる人々だ。
訪問先と交通手段は以下のとおり。
新潟 〜[飛行機:イリューシン]
ハバロフスク 〜[飛行機:ツポレフ]
イルクーツク 〜[車]
バイカル湖 〜[車]
イルクーツク 〜[列車:シベリア鉄道]
ハバロフスク 〜[飛行機:イリューシン]
新潟
data
日時:平成4年9月14日(月)〜同月21日(月)
撮影:ミノルタ MAC-DUAL Quartz Date,
MINOLTA 35mm F3.5 / 50mm F5.6
バイカル湖が世界最深の湖だというのは,小学生のころ,百科事典で知った。そこには湖の風景画が添えられていたが,それは小学生の心に神秘的な印象を与え,いつかは行かなければならない場所のひとつとして観念付けられていた。
行ってみて分かったことだが,湖に沿ってとても高い山が連なっていた。高いというのは,頂に雪があったことから,そう見て取れた。高い山だなあと,まあ,幼稚園児的感想だ。
さて,後々に分かったことだが,バイカル湖の南北に細長く伸びるその形に沿って,プレート境界があるそうな。あのとき,深い湖にしてあの高い山並みを眺めたときには,地質学的ダイナミズムと言うか,違和感を悟れなかった。地質学の才能の無さを感じた瞬間だった。
公園 |
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ヨーロッパの香り |
を感じる。 |
イルクーツクは夜10時出発だが,うきうきしてにわかに寝られたものではない。次のウラン・ウデ駅では,ブリヤート人のツベノフが乗り込んできた。彼は,いきなりグーグーガーガー始め,次の日の昼過ぎまで寝ていた。変な気遣いはしない大陸人だ。彼から学ぶことは多かった。
食料を持ち込む。芸が細かいのは,細長い香草ねぎを別に持っていて,ぶっとい指でつまんで,羊をと殺でもするかのようなでかいナイフで刻み,粉吹き芋に散らすのである。缶詰の缶はそのナイフをブスブス刺して開ける。黒パンにはバターを使わず,牛豚の脂身とともに食す(ロシア人の中年以降のあの太り方は,こんなところにあるんじゃないか)。毎回自分の食事を私に勧める。こっちが分かろうが分かるまいがロシア語でしゃべりまくる。こっちも日本語でしゃべり,だがしかし,それでも何か伝わるものがあるモンゴロイド仲間だ。しがらみのないモンゴロイドってところがいい。