ウィーンは居心地が良かった。そして,美術,音楽,建築と,どれも飽きがこない。
美術では,クリムトやシーレの毒に罹った。美と醜の両面価値性。醜がなければ,美を感じられない体になってしまった。
音楽では,残念ながらマーラーはやっていなかったが,国立劇場でのグルベローヴァの「ルチア」には,休符に,ブラックホールのような吸引力があって,その無音の中に吸い込まれそうになったし,国民劇場では場末感覚の本当の「魔笛」を楽しめた。
また,ウィーンの人々の,こちらから「ダンケ」を言った後に返ってくる「ヴィッテ」の,はにかんだような,奥ゆかしい言い方が堪らない。
しかし,もっとも居心地良くさせたのは,経営者の奥さんが日本人である「フランツ・シューベルト」という名のドミトリータイプのホテルに宿泊したことだった。チューリッヒから夜行列車でウィーンに向かうと,ちょうど朝に辿り着く。その思考能力がもっとも鈍い時間帯に,駅前で待ち受る奥さんから日本語で声をかけられたら,無抵抗に付いて行ってしまう。そんなわけで,宿泊客はほとんど日本人であったが,6人共同部屋は以外にも自分にフィットした。
産能大や上智大の音楽通の男,よほど気に入ったのか「ニース」を連発していた青短の二人,購入した「水蛇I」のポスターが今後の旅程で邪魔じゃないかと傍から見て心配になった美術大系の娘がいた。同部屋ではなかったが,グルベローヴァからサインをもらった男などもいた。毎夜,その日一日の土産話を持ち寄り,また,すでに訪れた国々での経験を語り,情報交換していた。その独特の雰囲気は,同窓会で味わう一体感,そう,世俗を離れた遠い過去に浸る安堵感とでも言おうか,悲しい哉,日本語が通じていて,私を心地良くさせていた。
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日時:昭和63年2月18日(木)−同月26日(金)
撮影:MINOLTA(?)
聖シュテファン寺院 キリスト像 |
ブルク公園 モーツァルト像 | ||
シュタット・パーク ヨハン・シュトラウス像 |
シュタット・パーク ブラームス像 | ||
シュタット・パーク シューベルト像 |
シュタット・パーク ブルックナー像 | ||
シェーンブルン宮殿 |
同宮殿からの眺望 | ||
街中のベートーヴェン像 |
同左 | ||
ハイリゲンシュタット ベートーヴェン像 |
ベートーヴェン住居 | ||
マーラーの住居アパート |
同左 | ||
ヴィトゲンシュタイン住居 |
中央墓地 入口 |
中央墓地 モーツァルト | ||
中央墓地 ベートーヴェン |
中央墓地 ブラームス | ||
中央墓地 ヴォルフ |
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共同墓地のモーツァルト |
同左 | ||
グリンツィング |
グリンツィング グスタフ・マーラー | ||
グリンツィング アルマ・マーラー |
前記と違う墓地 クリムト |
クリムトのロミオとジュリエット (すべてがクリムトとは限らない?) |
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