チューリッヒ

 チューリッヒ,それは,オットー・クレンペラー終焉の地であり,永眠なさる街だ。

 この地が外国初体験となった。空港から電車駅に連絡するエスカレータに乗り,下って行くときの期待と不安のない交ぜになった感情は忘れられない。
 そう,不安は,飛行機に乗ったときからあった。自分で希望しておきながら,どうして飛行機に乗ってしまったのだろうといった後悔を伴う不安は,感情の5割を占めていた。それは,案ずるより生むが易しに似て,外国に魅了された後では味わえない,懐かしい感情だ。

 市内を走るトラムは,その利用料金の支払いは自己申告制である。支払方法が分からず,あれよあれよという間に降車したら,未納で終わってしまう美しい街だ。
 ユダヤ人墓地は,市街地からやや離れた丘の上にあり,市街地にはない雪が残っていた。

  data
  日時:昭和63年2月17日(水)及び同年3月14日(月)
  撮影:MINOLTA(?) or PRAKTICA MTL5B, PENTACON auto 50mm F1.8 MC


墓地は,なだらかな丘陵の上部に位置する。

坂道の途中にあった,カンガルーの水飲み場。

enlarge enlarge 墓地の標識

Israelitischer Friedhof oberer Friesenberg

墓石
enlarge enlarge 斜め後方から
御臨眺のチューリッヒ市街
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